お好きな方へどうぞ。

2015年8月27日木曜日

[特撮-05] ゴルゴムの仕業か?謎のこだわり

仮面ライダーBLACK編/前回までのあらすじ






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それは1988年が明けて間もない、まだ寒さの厳しい日のこと。
週刊のテレビガイド雑誌だったか、先輩の買ってきた児童向け雑誌だったかを仲間内で回し読みしていた時である。

そこには『仮面ライダーBLACK・今後の展開』ということで、翌月放送分のあらすじが載っていた。
自分は何事においてもネタバレが嫌いなので、こういう記事は飛ばすのが常だったのだが、この時はつい、目の端に入ってしまった。

そこには、こう書かれていた。

第22話「タイトル未定」
ライダーに倒された同族のハチ怪人の恨みを晴らそうとするツルギバチ怪人が登場。

ポコ太はピンときた。
『あ、これは予算節約策ですね!』




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説明しよう。

とにかく特撮は一般ドラマと比べてもアニメと比べても、段違いに金がかかる
この30年間継続的に作られているのが、東映の戦隊シリーズとメタルヒーローシリーズ(2000年より平成ライダーシリーズへと移行)しか存在しないことがそれを物語っている。

はっきり言えば巨額のスポンサー料を払ってくれる企業(この場合はバンダイ)がバックにつかない限り、とてもではないが作れないのだ。

セットやCGなど、とにかく最初から最後まで金を喰う工程が満載なわけだが、ヒーロー、怪人などの着ぐるみもとにかく金がかかる。主役ヒーローともなれば頭部(マスク)だけで100万は軽く超える。(もちろん主役なら、そのマスクを何個も作なければならない)

平成ライダーシリーズが第一作のクウガから現在まで基本、2話分に1体しか怪人が登場しないのは、毎回新しい怪人が登場する戦隊シリーズとの予算の差であるのだ。



というわけで第1クールで視聴者を掴んだら、やってくるのが着ぐるみを再利用したリメイク怪人である。



今回の仮面ライダーBLACKでいえば、既にお役御免となったハチ怪人(第9話)の着ぐるみに手を加えて再利用し、1話分の着ぐるみ製作予算を節約する、というわけだ。
その背景として『ハチ怪人の同族』という設定にしたのは、出来上がった着ぐるみに元のハチ怪人の面影が残っていても視聴者側も受け入れやすいからだろう。

ポコ太は第22話のあらすじからここまでを読み取り、一人勝手に納得していた。




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しかし告白せねばなるまい。
自分はこの番組をナメていた

仮面ライダーBLACKの製作陣のこだわりは、自分の予想をはるか(斜め上に)超えていたのだ。




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時は過ぎ1988年3月6日、問題の第22話放送の日がやってきた。
同族のハチ怪人の恨みを晴らそうと大幹部達の前に直訴に現れたツルギバチ怪人の姿を見て、自分は言葉を失った。




まず第9話に登場したハチ怪人を見ていただこう。


こいつはこいつで、なかなかカッコイイ。




そしてこちらが問題のツルギバチ怪人




完・全・新・作・!?






どこからどう見ても、完・全・新・作・!!





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ということはだ。仮面ライダーBLACKの製作陣にとってツルギバチ怪人とは予算節約などではなかったという事になる。
ただただ純粋に「もう一体、蜂の怪人を出したい」だけだったわけだ。

わざわざ高いお金をかけて、また、蜂!
しかも『ツルギバチ』などという、現実には存在しない種類をでっちあげてまで!!

たしかに「ひとつの番組に同一モチーフの怪人を複数出してはいけない」という条例も放送コードも無いわけで、なにを出そうが自由ではあるのだが、だがしかし、先に書いた予算節約以外の理由でそれを行った番組は、ちょっと記憶に無い。

一体どういう流れの製作会議を経れば、こんな案が通るのか?

まさかこの後、ジガバチ怪人とかアシナガバチ怪人とかセイヨウミツバチ怪人とか、延々と蜂系の怪人が登場するのではないか…。



今、目の前で起こっていることが理解できず、自分は動揺した。



正直に言ってあれから30年近く経った今現在においても、この意図は全く理解できない。

ただ今回の件といい、前々回で見たような妙なモチーフ・セレクトの怪人達といい、製作陣の中に トチ狂った  …個性的な感覚を持った人がいたのは間違いないだろう。





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しかしその存在自体には釈然としない点はあれど、このツルギバチ怪人、惚れ惚れするほどかっこいい。
あの日から今に至るまで、ポコ太の Favorite☆ゴルゴム怪人 である。

ありがとう!よくわからないこだわりのひと!!






仮面ライダーBLACK編/おしまい。







2015年8月20日木曜日

[特撮-04] 大切なウソ

前回ラストで、次回は「制作陣のこだわりの、とある怪人を紹介する」と予告したものの、その後、放送当時(1987年)に自分の感じていたことをいろいろと思い出したので、一回追加することにしました。



さて前回、「仮面ライダーBLACK」のことを『設定やストーリーなど、非常に力が入った作品』と書いたが、怪人造形のリアルさもこの番組のウリのひとつであった。

造形を担当したレインボー造形企画は放送開始前のインタビューで『この番組のために渡米し、最新の技術を仕入れてきた』『体毛の一本一本まで手で植毛してある』と大見得を切っていた。

大見得を切るだけあって、放送開始前に公開された初期話数の登場怪人はどれも、今までとは次元の違う生物感に溢れ、番組への期待をより一層大きくさせた。




かなりグロい、クモ怪人(第1話)ヒョウ怪人(第2話)






そしてひとつの到達点。ノミ怪人(第4話)
確かに体毛の一本一本が伺える。(3枚目の背中を参照)
これをたった1話で倒してしまうのだ!!









しかし、これには2つの落とし穴があった。


劇中の演出も相まって、「気持ち悪い」「子供が怖がる」などのクレームが届くようになったのだ。
確かに日曜朝10時といえば遅めの朝食をとっている家庭もあるだろうから、そこでブラウン管に映るものとしては、いささかやり過ぎた感はある。(もちろんこれはプロデュース側のミスであり、レインボー造形企画に非はない)

結果、放送開始後に製作する着ぐるみに関しては自重することになったそうだ。





もうひとつの問題は私感ではあるのだが、前回触れたように「リアルにすれば良いというものでもない」ということだ。


クモ怪人の様に、元の形(蜘蛛)が人間とかけ離れたものは、デザインの段階でアレンジせざるを得ない。
ただ人が中に入れるだけなく、それを着たうえで激しいアクション(例えばトランポリンを使ったバク宙など)が出来る様にアレンジしなければならないのだ。

この場合は造形がリアルであればあるほど怪人の実在感は高まる。




しかし、例えばトカゲ怪人(第10話)の様に、元の形が人間と似通っている場合、ゴルゴム怪人はほとんどデザインアレンジされていない。

これに先のレインボー造形企画、屈指の造形力が加わるとどうなるか?
元の生き物、そのままにしか見えないのだ。

例に挙げたトカゲ怪人の場合、四つん這いになってライダーの腕に噛み付き、引きづり廻すシーンがあるのだが、それはもう人の大きさをした、ただのトカゲにしか見えなかった。



トカゲ怪人というより、ただのでっかいトカゲ…。





さらにゴルゴム怪人の特徴として、人語を発することがかなり少ない(全く喋らなかった奴も多い)ため、知性を感じさせず、さらに「ただのおっきな生き物(これはこれで脅威だが)」感を加速させた。
こうなるとライダーとの戦闘シーンは一歩間違えば、画づらとして動物虐待にしか見えなくなってしまう。




やはり創作においてウソ(ディフォルメ)は大切だなあと再認識させてくれた一年であった。




なお動物虐待といえば「仮面ライダーアマゾン」(1974)のライダーVS獣人も似たようなものじゃないかという意見もあるかもしれない。しかしあちらはアマゾン自体がケダモノ同然(むしろ獣人の方が知性を感じさせる)なので、そうは見えない。
ポコ太は「仮面ライダーアマゾン」のことを「闘う野生の王国」と名付けている。


カニを捌くアマゾン。アマゾンの無茶苦茶な戦い方を見ていると、獣人が気の毒になってくる。






さて、造形に関して番組開始後は自重されるようになったと書いたが、中にはとてもそうとは思えない奴もいた。特に昆虫系は一貫して高いクオリティを保っていた。
最後に番組中盤~終盤に登場した、ポコ太歓喜のムシ達をご紹介する。


タマムシ怪人(第21話)
国宝級の美しさ!特に頭部のアップになるとタマムシそのものです。




クワガタ怪人(第43話)
この大アゴのうねり!繊細な指先!










というわけで次回はいよいよ仮面ライダーBLACK編のラスト。
制作陣(意味不明の)こだわりの逸品。◯◯怪人を紹介する!刮目して待たれよ!!







2015年8月12日水曜日

[特撮-03] 闘う動植物図鑑

1981年に「仮面ライダースーパー1」が終了して以降、いわゆる平成ライダーが始まる2000年までの20年間は仮面ライダー不毛の時代であった。"仮面ライダーはオワコン" の雰囲気すら漂っていた。

そんな中、唯一の連続TVシリーズとして孤軍奮闘したのが「仮面ライダーBLACK」(1987)である。



仮面ライダーBLACK ことブラックサン(左)とシャドームーン。
兄弟のように育てられた二人が改造され、敵味方に分かれ死闘を繰り広げるという内容。(まさかその本題に入るまでに30話以上かかるとは思ってもみなかったが…)



途絶えていたシリーズを再興させるべく、設定やストーリーなど非常に力が入った作品で、また放送前に特番を組み主役オーディションの模様を流したり、石ノ森章太郎自ら描く漫画版を少年サンデーでスタートさせたり、話題性にも事欠かなかった。

結果、"仮面ライダー" を渇望していた視聴者の期待に答え、後番組(あえて続編とは書かない)「仮面ライダーBLACK RX」(1988)に見事つなげた。


とにかく当時の子供たちにとってリアルタイムの仮面ライダーはBLACK(RX含む)しか存在しないので、この時期幼少期を過ごした人達を中心に、30年近く経った今でも凄い人気を誇るライダーである。

もちろんポコ太も(高校生でしたが)毎週かぶりつきで見ていました。





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が、今回はそういう話ではない。

当時、放送を重ねるごとにポコ太は妙な点が気になりはじめた。
しかもソレを気にしていたのが自分の周りには他に誰もおらず、それが余計にモヤモヤを加速させた。

その妙な点とは、敵であるゴルゴム(政界・財界・芸能界などに信者を抱える宗教組織)の怪人達である。

ゴルゴム怪人は皆、動植物をモチーフとしたデザイン・造形なのだが、そのモチーフがどうも『一般的な怪人によくあるモチーフ』から外れた「なんでわざわざそんなものをモチーフにしたんだ?!」という独特なものが多いのだ。


というわけで今回は、そのちょっと妙なモチーフ・セレクトの怪人達をご紹介。






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その妙な感覚は、放送開始早々に訪れた。

・第1話/クモ怪人 ← わかる
・第2話/ヒョウ怪人 ← わかる
・第3話/クワゴ怪人 ← く、クワゴ?!


☆☆ こちらがクワゴ怪人 ☆☆☆


僕はこの番組のおかげで「クワゴ」と「カイコ」は別物ということを知りましたよ、はい。





☆☆ ヤギ怪人(第5話)☆☆☆


えーっと、その…可愛いです…。画像では今ひとつ伝わりませんが、劇中ではその動きも合わせモフモフ感炸裂!声も普段は低いのですがライダーと戦う際には、もろに「メ~」と鳴きました。
コイツに容赦なくパンチやキックを繰り出す仮面ライダーBLACK、まじブラック。





☆☆ アネモネ怪人(第20話)☆☆☆


ア、アネモネ…っすか(汗)何ともコメントしづらいんですが…。詳しい方は教えていただきたいんですが、アネモネって強いんでしょうかね?

ちなみにゴルゴム怪人・全48体中(劇場版及び大怪人含む)、植物系の怪人は3体のみ。
その中で、あえてアネモネ…。何が決定打になったんでしょうか?





☆☆ イラガ怪人(第27話)☆☆☆


既に蛾の幼虫としてはクワゴ怪人がいるというのに、また蛾の幼虫…

しかもこの手の幼虫怪人は、一度やられても成虫怪人となって大逆襲!というのが定番なのですが、クワゴ怪人もイラガ怪人も幼虫のままやられておしまいです。残念な人生です。





☆☆ ベニザケ怪人(第33話)☆☆☆


旅館の朝食かっ!

単に「サケ怪人」ではなく「ベニザケ怪人」というところに制作陣の強いこだわりを感じます。僕はいまだにコイツを「ベニシャケ怪人」と呼んでしまいます。





☆☆ ケラ怪人(第37話)☆☆☆


うーん…。みんなみんな~生きているんだ、友達な~ん~だ~。





☆☆ サンショウウオ怪人(第40話)☆☆☆


いいんでしょうか?倒しちゃっていいんでしょうか?なんとなく背徳感を感じます。コイツに容赦なくパンチやキックを…(以下略)

ちなみに画面に現れたこいつを見て、当時の僕は「なんだ、この着ぐるみ感丸出しの造形は」と呆れたのですが、その後図鑑で山椒魚を改めてまじまじと見つめると、もとから着ぐるみみたいな生き物なんですね。
先のヤギ怪人もそうですが、リアルに再現すりゃいいってもんでもないなと感じました。





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というわけで、当時ポコ太の感じたモヤモヤを追体験していただけただろうか?
結局このモヤモヤから「仮面ライダーBLACK」は自分のなかでこう位置付けられることとなった。

→『闘う動植物図鑑』




さて次回は、このわけのわからない制作陣のこだわりの極北。
ポコ太が衝撃を受けた、とある怪人を紹介する。

次回「ゴルゴムの仕業か?謎のこだわり」にご期待ください!







2015年8月6日木曜日

機材紹介 /​ 私は何故 Digital Performer を愛すのか?

ポコ太です。今回は思想と音楽について。

…といっても物騒な話ではありません。音楽ソフトウェアにおける設計思想のことです。



自分は制作体制をパソコンに移行して以来、DP(MOTU社の Digital Performer)をメイン・シーケンサー(DAW)としています。

Performer といえば、80年代~90年代は業界のデファクトスタンダードの一翼を担っていました。(遠い目)
Performer を使いたいからMacを買うというのが珍しくなかったのです。僕も当然の様にMacを選択し、Performerを購入しました。

それがいまや…(虚ろな目)

今回は、なぜ自分は今でもDPを使い続けるのかというお話。









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よく「いまどき、なんでDPなの?」と尋ねられる。
とりあえず「自分の制作スタイルはMIDIがメインだから」と答えておく。

一応今でも『DP = MIDI編集に強い』というのは定説として残っているようだ。…というか使ったことがない人には、もはやそれ以外にウリが無いようなイメージすら持たれている。

ただ "MIDI編集に強い" と言うと、なにか他のソフトウェアにはない凄いエディット機能が付いているように聞こえるが、そこに関してはいまどきのソフトウェアはどれも一通りのことが出来るし、どんぐりの背比べだと思う。

では、何が違うのか?
一つ、とてもシンプルな例を挙げてみる。





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実は15年くらい前、1年ほど別のソフトに浮気をしたことがある。当時いよいよ本格的なソフトシンセの時代が到来したものの、そちらの方面にDPはからっきし弱かったからだ。

乗り換えた当初はかなり文化の違いに戸惑ったが、半年もすればさすがに慣れた。

しかし1年経っても慣れなかったことがある。
それがMIDIのイベントリストだ。

まずは、現在の Logic と SONAR のMIDIイベントリストを見てみよう。(クリックで拡大します)





パッと見て、どこが和音か分からないのだ!

和音とは?などと論じ始めると趣旨からそれるので、ここでは『完全に同一時間上で発せられる2つ以上の音』と定義して話を進める。あくまで『単音』との対義語と考えてほしい。

Logic と SONAR。どちらも全てのデータが等価に並んでいて、それぞれが単音なのか和音を構成しているのか分かりづらい。



なにもこれは Logic と SONAR に限った話では無い。
こちらは最新版の Cubase のMIDIイベントリスト。




この通り、大差無い。
やはりパッと見て、どれが和音でどれが単音か掴みにくい。

画面右側で判断すればいいのかもしれないが、目線を左右しなくてはならないし、今度は逆に一見同時に鳴っているように見えつつ、実は数ティックずれているものがあっても気付きにくい。

(MIDIデータは数ティックずれただけで想定した音とは変わってしまうものがある。また、それを意図的に行う場合もある)



最後にもうひとつ、Singer Song Writer の後継である新鋭の ABILITY も載せておく。








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では DP のMIDIイベントリストはどうなっているか?(クリックで拡大します)




矢印の部分に注目してほしい。同一時間上のものは一つ一つの区切り線が消え、大きな塊として表示される。

音だけではなくコントロールチェンジやピッチベンド情報等も含め、同一時間上にあるデータが一目瞭然である。







お分りだと思うが、これはけっして技術的に高度なことしてるわけではない。やろうと思えば他のソフトでも簡単に出来るはずだ。

やろうと思えば簡単に出来ることを何十年経ってもやらないということはつまり、他のソフトウェアはMIDIのイベントリストを『データ』リストとして捉えているからだろう。

その点、DP は無味乾燥な数字の羅列になりがちなイベントリストですら、データではなく『音符』リストとして捉えている様に感じる。

実際、自分は鍵盤もマウスも触れることなくイベントリストにデータを直書きしていくこともままあるのだが、この表示方式のおかげで、今自分がどの位置にどんな音を打ち込んでいるのか、音を出さずとも迷子になった事はない。




このようにDPの良さはカタログスペックに表れにくい「ほんのちょっとした考え方・捉え方の違い」というものが多い。使っている者ですら普段は『良さ』として認識できず、他のソフトウェアを使って初めて逆説的に気付くというレベルだ。

なので、先のように「なんでDPを使っているの?」とか「オススメのシーケンサー(DAW)は?」と尋ねられても、なかなかズバッとは答えにくいのだ。



あえて言うならこうなる。「DPの設計思想が好きだから」





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なお、Pro Tools に関しては同じような表示に設定することが出来るようです。
MIDIに関しては弱いという印象があった Pro Tools ですが、ここ数年、かなりのスピードで進化を遂げているようで、自分としても注目しています。


というわけで今回は、ある程度以上の年齢の方達には絶大なブランドであり、ある程度以下の年齢の方達には「え?でぃーぴー、っすか??」などと二度聞きされてしまう、我が愛しのDPのお話しでありました。

音楽ソフトの設計思想については、また別のソフトについても書く予定です。

んじゃ、また。